そしてまた冬が来る。
受け持っていた生徒を第一志望に入れてあげられなかった時、もう家庭教師はやめようと思った。
「先生の母校に行きたい」と言ってくれる女の子がいる。
彼女が中学校に入学したのと同時に受け持つようになったので、もうすぐ3年の付き合いになる。
教え始めた時、彼女はいわゆる不登校児だった。
活力に乏しく、自分の意欲を外に出すのが苦手な子だった。
将来の夢は無く、やりたいことも無く、ただ日々を無為に過ごすようなスタートだった。
彼女が自分から家の外に出られるようになるまで、1年かかった。
中学校に復帰できるようになったのはさらにその半年後、保健室登校から。
教室で他の生徒と同じように授業を受けられるようになったのは3年生になってからだ。
2学期の期末テストでは学年で2位を取って帰ってきた。
学年で唯一、国語と社会は満点だったそうだ。
「師匠が良いからね」と彼女は笑った。
今、彼女は自分のやりたいこと、将来の夢をはっきりと言葉にして私に話してくれる。
彼女の夢を支えてあげたいと心から私は思う。
「将来はお医者さんになりたい」と言っている男の子がいる。
彼の母親が、私の昔の教え子を通じて私に連絡をくれたのが5年生の夏なので、1年半ほどの付き合いになる。
指導を始めたころ、彼は国語が本当にできない男の子だった。
記述問題は「わからない」と1文字も書こうとせず、すぐに得意な算数をやりたがる子だった。
入試を目前に控えた今、彼が得意だと口にする科目は算数から国語にかわった。
先日の模試ではついに偏差値が70を超えたそうだ。
偏差値70にのった時の答案には、50字を超える記述でしっかり部分点を取っている問題が2問もあった。
彼はきっと第一志望に受かる。
彼の第一志望には必要ない社会を教えながら、最近私はよくそう思う。
受け持っていた生徒を第一志望に入れてあげられなかった時、家庭教師の真似事はやめようと思っていた。
ちょうど本業の仕事が大変な時期で、理由をつけてやめるには都合がよいタイミングだったのだ。
私が以前指導していた生徒が、私に友人を紹介しに来たのはその1週間後だった。
「次はこの子をお願い」と言われた時、目の前のその子の手を取らないという選択肢は浮かばなかった。
結局、ほとんど趣味のような状態で、学年問わず年に数人ずつ、どうしてもと依頼された生徒を引き受けている。
今年も子どもたちが戦う冬が来る。
彼らが無事に笑って春を迎えられることを心から願う。