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カセット効果の話

カセット効果という言葉を聞いたことはあるだろうか。

カセット(cassette)とは「箱」という意味で、直訳が難しい外国語を「厳密には異なるが近い意味を持つ日本語」や「原意にイメージが近い漢字を組み合わせた造語」を用いて多少強引に翻訳することで、その言葉に原意とは異なる独自の意味が込められていく、といった現象を指している。

 

柳父章という人物が自身の著書で主に用いている言葉で、氏は翻訳語研究の大家であり、興味深い著作をいくつも世に出しているが、今回はその中の一冊『翻訳語成立事情』(以下本著)と翻訳についてのお話。

 

 「社会」という言葉は今日、新聞や雑誌をはじめ、様々な場面で用いられるものであるが、本著によればこの言葉が盛んに用いられるようになったのは明治10年前後、西暦1880年頃のことで、society等の西欧語の翻訳語として用いられるようになったのがそのはじまりであるらしい。

つまり、それまでの日本には現在使われるような意味での「社会」という言葉は存在しなかったのである。

 

このことが当時の翻訳者にとってはとても難しい問題だったようで、なにせ知識人が読むような本には至る所にsociety、つまり「社会」に相当する言葉が出てくるのである。

 

柳父氏はこの点について、

しかし、かつてsocietyということばは、たいへん翻訳の難しいことばであった。それは、第一に、societyに相当することばが日本語になかったからなのである。相当することばがなかったということは、その背景に、societyに対応するような現実が日本になかった、ということである。

 と述べている。

このsocietyという外国語には仲間、会、会社、交際など、実に様々な訳語があてられているが、最終的に福地源一郎の「社会」という翻訳語が対応する言葉として用いられるようになった。

「社会」とは「社」と「会」を組み合わせた造語で、「社」は同様の目的を持つ者の集まりを指す言葉である。この時代、「社」は今でいう流行語のようなもので、明治6年に結成された「明六社」をはじめ、様々な集まりが「○○社」という名称を好んで用いた。「社」の集「会」で「社会」、というわけである。

 

日本語にうまく対応する言葉が存在しない場合、「社会」のような造語が登場することは少なくなかったようで、柳父氏も1章の終わりで以下のように言及している。

 このころつくられた翻訳語には、こういうおもに漢字二字で出来た新造語が多い。とりわけ、学問・思想の基本的な用語に多いのである。外来の新しい意味のことばに対して、こちらの側の伝来のことばをあてず、意味のずれを避けようとする意識があったのであろう。だが、このことから必然的に、意味の乏しいことばをつくり出してしまったのである。

 氏はここで、あえて「意味の乏しいことば」という言い回しをしているが、「社会」という言葉も当初は今ほど多義的な言葉ではなく、せいぜいがsocietyといった西欧語に対応した言葉である、程度の認識だったようで、様々な文脈で用いられたことで現在のような使われ方が徐々に確立していったようである。

つまり、「社会」という中身のない「箱」に独自の意味が込められていった結果が現在我々が様々な場面で目にする多義的な「社会」という言葉であり、その意味でこの言葉もカセット効果の賜物である、というわけだ。

 

 

ところで、当時の知識人は多くの場合、あえて難しい表現を用いて翻訳を試みたようである。例えばindividualという単語を現代の私たちはとりあえず「個人」と訳すが、当時の知識人の翻訳では「人民各個」や「一身の身持」といった、いかにも堅苦しい(しかも何を指しているのかよくわからない)造語が用いられている。

 

そうした時流に批判的だったのが福沢諭吉という人物で、彼は平易な表現に収まるような翻訳をこそ好んだそうである。

 

「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらずといえり」という言葉も、福沢のそれまでの翻訳活動の成果が表れている一文である。

福沢の文章には翻案と思われるものが多数あるが、その中でGodを「天」、individualを「人」という言葉で翻訳してきた彼は、この一文でもそれまでと同じく「天」「人」という平易な翻訳語を用いた。

 

しかし、原意に翻って考えてみれば、Godを「天」、individualを「人」というのはいくらか話を単純化しすぎている気がする。

つまり、福沢は平易な表現を好んで用いる翻訳者であったが、それゆえに原意の一部を掬うことはできても、そのすべてを十分に表現することはできず、結果として「平易な表現・言葉に独自の新しい意味を与えた」と見ることができるのである。

ここがカセット効果の難しいところで、難解な造語を用いても、逆に誰にでもわかりやすい平易な表現を用いても、 それが原意からずれた分だけ、その間隙に新たな意味が追加されていくのである。

 

本著は当時の日本には存在しなかった言葉を単に紹介しているだけではなく、こうしたカセット効果によってどのような意味が知らないうちに継ぎ足されていったのか、といった独自のアプローチを見せている良書で、「社会」「個人」のほかにも、「近代」「美」「恋愛」「存在」「自然」「権利」「自由」「彼、彼女」について詳細に言及している。

特に「権利」「自由」といった項には非常に興味深い記載があるので、興味を持った諸兄は是非一読することをおすすめする。

 

 

 

翻訳語成立事情 (1982年) (岩波新書)

翻訳語成立事情 (1982年) (岩波新書)